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![]() パーヴァガル(Pavagadh)の山とチャンパーネル(Champaner)に到着する。 インドで一番若い世界遺産 パーヴァガルの山およびチャンパーネルのモスク群は、2004年にユネスコによって世界文化遺産指定を受けた、インドで一番若い世界遺産だ(2007年6月現在)。 この一帯の歴史は8世紀にまで遡る事が出来る。この土地の王ヴァンラジ・チャヴダ(Vanraj Chavda)が親友であり臣下のチャンパ(Champa)将軍の名を土地に付けた。 その後、ラージプート民族(ラージャスターン系の戦闘民族)がここを支配下とした際に、軍事拠点として後背のパーヴァガルに要塞を築いた。 この要塞は、1484年にムハマド・ベガダ(Mahmud Begada)というスルタン王朝の王によって征服され、次いで1535年にはムガル帝国の第2代皇帝フマユーン(彼の霊廟はデリーにあり、世界遺産に指定されている)によって平定された。 パーヴァガル山のカーリー寺院 ![]() 毎日、相当数の参拝者がおり、特に週末ともなると、すごい数の教徒たちがここを訪れる。 ![]() 徒歩だと片道30~45分かかるが、ロープウェーなら約5分で行ける。 料金は、片道だと55ルピー(165円)、往復で87ルピー(261円)。 中流層の人達にしか払えないくらいの料金設定だ。 ![]() ![]() 山頂にも関わらず、この露店街が結構盛況を呈している。 ![]() ![]() ![]() ここには、人造湖を取り囲むように小さなヒンドゥー寺院が建っているほか、ジャイナ教寺院も残っている。 ![]() しかし、このジャイナ教彫刻の痛み具合が半端ではない・・・そこらじゅうにカーリー寺院礼拝者と思しき人達の落書きがされている(ジャイナ教徒が自分の寺院にこんな事をするとはまず考えにくい)。 ![]() ![]() 人造湖周辺のほかにも、いくつかジャイナ教寺院や建物跡があった。 ![]() ![]() 乗り場で、男子グループと女子グループに夫々声をかけられる。 彼らはグジャラーティー語を話すのだが、ヒンディー語が強烈に訛ったような言語なので、かろうじてヒンディー語で会話が出来た。 ![]() ガイジンに会うのがたいそう珍しいらしく、国籍やら住んでいる場所やら色々聞かれた。 で、御決まりの写真撮影。 ![]() よく見ると、広場にイスと簡単な舞台がある。 10ルピー(30円)で、シュールな人形劇を観劇。 モスク群 平地のチャンパーネルには、上述したスルタン王朝期に建造されたモスクが綺麗に残っている。 ジャミ・マスジッド(Jami Masjid) ![]() 中央のモスクを取囲む壁は殆ど崩れていない。 ![]() 彫刻が細かく、かつ痛んでいない。 ![]() 高さは30mあり、いずれも欠けることなくそびえ立っている。 モスクの外壁は、砂岩を彫った細かい彫刻がビッシリ。 内部には、四角-十角形-円形への続く丸いドームがあり、彫刻が細かい7つのミラブ(Mihrab、礼拝する方向に柔らかにくり貫いたデザインの出窓状の空間)がある。 ![]() ![]() ![]() ![]() なんと、172本もあるらしい。 建築上、必ずしもこんなに必要ではなかったと思うが、何か宗教的な意味合いでもあるのか・・・? こんなポップな壁面もいくつか見ることが出来る。 妥協の無い左右対称を追求するイスラム建築にあって、この自由なデザイン配置はちょっと珍しい。 ![]() ![]() ケヴダ・マスジッド(Kevda Masjid) ![]() これも、1458~1511年のスルタン王朝ムハマド・ベガダ治世期に建てられた。 目下、修復作業の真っ只中だった。 ![]() 特徴的なのは、もしろモスクの前に建っている建造物。 セノタプ(Cenotaph)と呼ばれ、要は霊廟にあたるものらしい。 ナギーナ・マスジッド(Nagina Masjid) ![]() 灼熱の気候の中、15分ほど歩く。 すると・・・ ![]() これも、前述の2つのモスクと同時期に建築されたものだ。 ![]() ただ、残念ながらここのもすくの尖塔は途中からポッキリ折れてしまっている。 ![]() 一族の繁栄等を意味する、1つの幹から幾重にも広がる木々のデザインは、実に見事な彫刻だ。 ![]() ![]() オススメ度(100%個人主観) ★★★☆☆ ・・・ 通好みな隠れ歴史スポット 所要観光時間 3時間 ▲
by bharat
| 2007-06-14 10:30
| インドぶらり旅
インドの代名詞のように語られる、ダージリンティー。
このブランド名は、勿論、産地の地名ダージリンから取ったものだ。 ということで今回は、ダージリン。 世界的紅茶の名産地 もともと、この辺りの地域はインドというより、ネパールなどヒマラヤ系やブータン・シッキムなどのチベット系の勢力がその版図をたびたび塗り替えていた場所だった。 18世紀、ここダージリンはネパールのグルカ族に、隣の尾根にあるカリンポンはブータンの支配下になっていた。 英国が東インド会社をインドに設立し支配力を強めると、その拠点であるコルカタに程近いダージリンは夏季の避暑地として機能するようになる。 19世紀当時、ダージリンにあった僧院ドージェ・リンからDarjeelingの名を取り、英国風建築物を建て、斜面には紅茶を栽培していった。 やがて、高地の涼しい気温・高い湿度とダージリンの土壌が上質の紅茶を産することが分かると、ダージリンティーは山岳鉄道(詳細後述)を使って、英国本土に持ち帰られ、大いに愛飲されるようになった。 シリグリからダージリンへ ![]() コルカタからの夜行列車をキャンセル待ちしていたがキャンセルが出ず、コルカタで足止めを食うハメに・・・。 ![]() 仕方無く同地で1泊し、翌朝のフライトでダージリン最寄の空港であるバグドグラ(Bagdogra)に飛んだ。 同空港は、離発着する機の殆どが戦闘機という軍事色の強い空港で、民間機が戦闘機が離発着する間を申し訳無さそうに移動する。 この空港からダージリンまでは、ジープタクシーをチャーターして直行もしくはシリグリ経由でダージリンを目指す・・・移動時間にして3時間くらい。 ![]() 幅わずか61cmのこの線路こそがダージリン・ヒマラヤ鉄道で、DNAの二重螺旋のように自動車道と幾度も交差しながらダージリンまで伸びていた。 ![]() そして、運転手の自宅が道中にあったので、ここで強制的に小休止を取る。 ![]() 朝9時にニュー・ジャイパイグリ駅を出発した列車がまだこんなところに・・・。 予定通り、この列車に乗って移動してたら、暇を持て余していたかも。 ![]() 何はともあれ、無事ホテルにチェックイン。 ホテルから外を見ると、派出所の近辺でなにやらもめていたが・・・なんだったのだろう? ![]() 中でも、この骨董品屋は商品のセンスが良くすぐに気に入った。 店名の示す通り、店主は隣の山のカリンポン出身だった。 ![]() ここのトゥクパ(ラーメンみたいなもの)とモモ(ギョウザみたいなもの)が美味かった。 必見&必乗! ヒマラヤ鉄道! 翌朝、早起きして行ったグーム近くのターガー・ヒルから御来光を拝むことが出来ず(詳しくはコチラ)、ホテルに戻って朝食。 ![]() これが、前日の夕方見たダージリン・ヒマラヤ鉄道のジョイライド(Joyride)のチケット。 ジョイライドとは、要は観光客用に8時間の長時間ではなく、ちょっとだけ鉄道を楽しんでもらおうというもの。 区間はダージリン~グーム~ダージリンで約2時間、料金は240ルピー(約720円)/人。 ![]() ![]() ![]() 駅のホームには、ちっちゃな客車が3台スタンバイ済。 内装は結構立派。 ![]() ![]() ![]() 甲高い汽笛音を響かせながら、蒸気機関車がホームに入線してきた。 ![]() ![]() 午前10時過ぎ、定刻を少し遅れて4両編成の小さな列車がダージリン駅を出発。 ![]() 列車は、そんなことを御構い無しに、自分のペースでゆっくり走り続ける。 ![]() 10時45分頃、登り勾配をグルッと1周して小高い丘バタシア・ループ(Batasia Loop)に到着。 ここで、カメラを持った沢山の観光客に出迎えられ、列車は5~10分ほど小休止。 皆、列車を撮ったり、機関部分を覗き込んだりしていた。 ![]() ![]() この間、機関士たちは大忙し。 なにせ齢100歳以上の機関なので、今の数十分の走行でジョイントというジョイントがゆるむらしく、そこらじゅうトンカチで矯正するのだ。 ![]() ![]() バタシア・ループを出発すると、列車はグーム市街地に入る。 このあたりは、脇の住宅や店と線路の間隔が恐ろしく狭く・・・ ![]() ![]() 浅草の花やしきのジェットコースターみたいな雰囲気。 ![]() このあと、列車は再びダージリンに戻るのだが、僕はここで待たせてあった車に乗込み、カリンポンに向かった。 チベット仏教僧院の数々 土地柄、ダージリンにはチベット仏教(密教)の影響が色濃く残っており、僧院(ゴンパ)も数多く残っている。 代表的なものを観て周った。 ドゥルック・ダンガク・ゴンパ(Druk Sangak Gompa) ![]() ![]() 御覧の通り、アップでは全体が入らないくらいデカい。 ![]() ![]() ![]() ブティア・ブスティ・ゴンパ(Bhutia Busty Gompa) ![]() ![]() 敷地入口から本堂まで、周囲を木に囲まれており、ちょっと見つけにくい。 ![]() ![]() ![]() ![]() 住宅街といっても、丘にへばりつくように家が建ててあり、家々が密集しているという感じではない。 ![]() こんな細いんぢゃ、しょっちゅう水がつまったりするのだろう。 やはりこれを語らずには・・・ ![]() 丘にびっしりと植わった茶とうっすらとかかった霧がなんとも情緒ある風景を生み出している。 ![]() なんでも名物オバチャンのようで、日本の芸能人もTV番組で何人かここでお茶を飲んだようである。 オススメ度(100%個人主観) ★★★★☆ ・・・ ここぞ真の避暑地♪ 所要観光時間 4時間 ▲
by bharat
| 2007-05-03 10:30
| インドぶらり旅
カトマンズ盆地で、カトマンズ、パタン、バクタプル以外にもいくつか見所がある。
それを纏めて、今回の旅行記とした。 ボダナート(Bouddhanath) ![]() ![]() (※上の航空写真は、購入した絵葉書より。) 町通りからちょっと入ったところにあるので、車で流していると気付かないが、お祈り用のロウソクを売っているコーナーを中に入ると・・・ ![]() ![]() スリランカにも同様に白色のストゥーパはあったが、ここまで大きなものは無かったし、ましてや首都地域では無かった。 更に特徴的なのは、上部に目が書いてあること・・・これが神聖というよりコミカルな印象を与えている。 ![]() 皆、時計回りに御参りするので、我々もこの流れに乗って移動することになる。 気に入った土産物屋を通過してしまっても、後戻りは出来ない・・・もう1周しなければ。 ![]() デリーのチベット人居住区で購入したTシャツと全く同じデザインのものを発見! ネパール・インドの流通網、恐るべし。 パシュパティナート(Pashpatinath、Pashupati) ![]() ![]() 一番大きな寺院は異教徒立入禁止だが、外見だけでも見がいがある。 ![]() ![]() ![]() 川っぺりで何やらモクモク煙が立ち昇っているが・・・ ![]() ここで荼毘に付しているのだ。 キルティプル(Kirtipur) ![]() ![]() 現地語で「名誉の町」というこの村落の見所は、バーグ・バイラヴ(Bagh Bhairav)寺院だけだが、なかなか立派な造りだ。 シヴァ神を祀っているということだが、本堂入口にはカーリー女神がおり、 ![]() 生き血をすする野良犬に、ニッコリ笑う地元の子供たち・・・すごい絵だ。 ![]() ![]() 中には、本堂のほか、宿坊などもあった。 オススメ度(100%個人主観) ★★★★☆ ・・・ ヒンドゥー教・仏教の隆盛を体感出来る 所要観光時間 3時間 ▲
by bharat
| 2007-03-06 10:30
| インド周辺国ぶらり旅
![]() カトマンズ盆地から東へ12km、車で約45分ほど行ったところにある。 ヒンドゥーの神が護る町 6.88k㎡のこの都市は、9世紀頃に形成され、マッラ王朝期に王都となった。 15世紀、Yaksha Malla王の治世期に、現在の形になった。 同じく王都となった他の2都市(カトマンズ、パタン)と比べて特徴的なのは、町全体が勾配の上にあること、木造多層階建ての建物が多いことだ。 喧騒と静けさと・・・ ここに到着したのは10時頃だったと思うが、当日は3月3日のホーリー(ヒンドゥー正月)前日祭。 一見静かな通りも、カラーパウダーや水風船の飛び交う戦場と化していた。 結局、水はかなり浴びたが、奇跡的にカラーパウダーは食らわずに済んだ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ヒンドゥー教だが・・・ ![]() ![]() ヒンドゥー・タントリズム(ヒンドゥー密教)と呼ばれるこの宗教理念は、多くの宗教が己の欲望を抑制することによって精神的な高みに至るとする中で対極をいっており、つまり物質的や性的な欲望を解放することによって、神と一体化することが出来るとしている。 この理念は、インドでも古代~中世のイスラム勢力が本格的に入ってくる前まではごく一般的に流布されていた(世界遺産に指定されている中央インドのカジュラホの性交渉を象った彫刻は有名)。 ここネパールのヒンドゥー教も恐らくこの考えがベースになっていると推測され、かつイスラム勢力による性的描写の弾圧・毀釈がなかったので、今も当たり前のように残存しているのだと思われる。 生贄 ![]() こんなスプラッタな光景がそこかしこで見られた(首をはねて寺院を周って、首を神前に捧げ、体から内臓を取出す)。 ![]() 町並み 坂を登ると、急に広けた広場に出る。 ダルバール・スクウェアだ。 王宮コンプレックス ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() などで構成される大きな建物群。 入口門と建物の一部は、修復作業中だった。 ニャタポール(Nyatapol)寺院 ![]() ブパティンドラ・マッラ(Bhupatindra Malla)王が1708年に建立した。 階段両脇の像は、力の序列を示している。 1番下から人間、象、獅子、グリフォン、神の順で、夫々1階層下のものより10倍の力があると言う。 神は人間の1万倍力があるということか。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ニャタポール寺院を模倣したものだろうか。 ヒンドゥー彫刻 ![]() ![]() ![]() ![]() これは、学校施設(?)の前に安置されていたヒンドゥー教の神々(カーリー女神、ヌルシンハ神、ハヌマーン神、シヴァ神)。 パシュパティナート(Pashpatinath)寺院 ![]() 現在、ドイツの援助を得て内部に石・鉄骨の補強材が入っている。 ![]() ![]() バイラヴナート(Bhairavnath)寺院 ![]() ![]() 元々平屋建てだったが、1718年にブパティンドラ・マッラ(Bhupatindra Malla)王によって増築された。 司祭の館 ![]() ![]() 御存命中は、こんな風貌では無かったと思うが。 孔雀の館 ![]() 孔雀の館と呼ばれるこの館には、木造の木目細かな孔雀の装飾があり観光場所の1つになっている。 向かい側の土産屋さんの2階からよく見える。 オススメ度(100%個人主観) ★★★☆☆ 観光所要時間 1.5~2時間 ▲
by bharat
| 2007-03-05 10:30
| インド周辺国ぶらり旅
![]() マッラ王朝期の都 マッラ王朝期の15世紀、3人の王子が夫々独立国家を建てたが、そのうちの1つの都がここパタンに置かれた。 都市としての歴史は、3都市の中で最も古く、既に紀元後299年にラリトプルという名で都市が形成されていた。 カトマンズにあるものと同じ名称のダルバール・スクウェア等があり、規模はやや小さいものの、綺麗な寺院が数多く残っている。市の中心には主としてヒンドゥー教寺院があるが、パタン市は仏教の中心地で、仏教寺院も市のはずれに点在している。インドにある仏跡ブッダガヤーの大菩提寺(マハーボディ寺院)を模した寺院も、ここパタンにある。 パタン博物館 ![]() 1997年に出来たが、以前は王宮の一部だった。 当日は早朝だったため、まだ開館しておらず、中は見れなかった・・・。 毎日10:30に開くらしい。 クリシュナ寺院(Krishna Temple) ![]() ![]() 寺院の名のわりには、節操無く色々な神様を祀っている。 まず、寺院の前の柱には、ヴィシュヌ神の乗物の鳥ガルーダ。 本堂の2階にはクリシュナ神、その他の階ではシヴァ神、ブッダを祀っている。 訳の分らないルームシェアリングである。 黄金寺院(Golden Temple) ![]() ![]() ヒンドゥー教ではなく仏教寺院だ。 12世紀の建立とされている。 ![]() ![]() 中には、細かな細工を施した本堂がある。 ![]() ![]() その他の寺院 ![]() ![]() 御祭りモードの街中 ![]() だが、当日はホーリー前日祭。 インドほど全員を巻き込んで、ということでも無いが、子供たちは大盛上がり。 ![]() ![]() ![]() ![]() オススメ度(100%個人主観) ★★★☆☆ 所要観光時間 1.5時間 ▲
by bharat
| 2007-03-04 10:30
| インド周辺国ぶらり旅
![]() 標高は1,300m、人口は100万人以上。 王宮都市 カトマンズは、都市の名でもあり、その一帯に広がる大きな盆地の名でもある。 現在、カトマンズ盆地全部を対象として、ユネスコ世界文化遺産に指定されている(2003年危機遺産に指定)。 ネパールの歴史のくだりでも書いたが、古代~中世において、ネパールを治めるとはつまり実質的にこのカトマンズ盆地を支配下に置くということだった。 代々の支配者がこの地を統治し、15世紀中頃にマッラ王朝が3つに分裂すると各々の首都カトマンズ(市としての)、パタン、バクタプルは競い合って立派な王都を形成し、それが現在でも見事に残存している。 市街地周辺の遺跡については、別途第99回旅行記「カトマンス周辺ほか」にまわすとして、ここでは、巨大な王宮跡について記すことにする。 ダルバール広場(Durbar Square) ![]() 大小入れて見所が43もある。 小さなものを端折っても、20弱は観るべきところがあり、かなり見応えのある観光スポットになっている。 以下、観た順番に・・・。 ①バサンタプル・ダルバール(Basantapur Durbar、地図上の43) ![]() 1770年に、ネパールの王Prithvi Narayanが建てた建物は、外見は4つの屋根だが中は9階建て。 ![]() ![]() ②ガッディ・バイタク(Gaddi Baithak、26) ![]() イギリス植民地時代に、年に1回の山車祭の際に、イギリス人たちはこの洋風建築からその喧騒を眺めていたのだという。 ③クマリ館(Kumari-ghar、25) ![]() クマリは、ネパールの神タレジュ(Taleju)の化身とされ、少女の中から選ばれる。 少女は生き神として崇められ、国王も彼女の前では跪くという。 ![]() 館の門をくぐると、中庭からクマリの部屋が見え、呼ぶと顔を出してくれることがあるという。 ④トリロキャ・モハン・ナラヤン(Trilokya Mohan Narayan、24) ![]() ⑤カスタマンダプ(Kasthamandap、18) ![]() ![]() ⑥アショク・ヴィナヤク(Ashok Vinayak、16) ![]() 地元民には、マル・ガネーシュ(Maru Ganesh)の名で通っているこの祠には、ガネーシュ神が祀られている。 ⑦サンテネシュワル寺院(Santeneshwar Temple、地図の左端) ![]() ![]() ⑧マジュ・デガ(Maju Dega、13) ![]() ⑨シヴァ・パールバティ寺院(Shiva Parbati Temple、11) ![]() ![]() シヴァとパールバティ夫婦が下界を眺めている。 なんというシュールな造り・・・。 ⑩スウィート・バイラヴ(Sweet Bhairav、28) ![]() 年に1回(9月~10月)の祭りの際に、御開帳される。 ⑪宮殿・モハンチョウク・ハヌマーン像(Royal Palace・Mohan Chowk・Hanuman Statue、30) ![]() バサンタプル・ダルバールと内部で繋がっており、大きな複合建築物を形成している。 ![]() ![]() 色んなものを被っていてよく分からないが、ハヌマーン像。 ヒンドゥー神話「ラーマーヤナ」に登場する猿神だ(ラーマーヤナについてはコチラ参照)。 この1672年にPratap Malla王によって建てられたハヌマーン像が、そのままこの王宮跡の名称である「Hahuman Dhoka Durbar Square」になっている。 ⑫タレジュ寺院(Taleju Temple、38) ![]() ![]() 1564年に、Mahendra Malla王によって建てられた。 毎年10月に開催される祭りでは、この寺院で神に対する生贄として、羊の頭部を108つ供える。 ⑬カル・バイラヴとその周辺(Kal Bhairav、33) ![]() 昔、広場の北のはずれにあったものを、Pratap Malla王が現在の位置に移した。 たくさんの参拝者がやってきては、祈りを捧げる。 この石像の右奥にある、8角形の屋根をした寺院はチヤシン・デガ(Chyasin Dega、7)で、クリシュナ神を祀っている。 Pratap Malla王が亡くなった2人の王妃を偲んで1649年に建てたものだ。 ![]() 石像の左側にあるのは、ジャガンナート寺院(Jagannath Temple、31)で、1563年にMahendra Malla王によって建てられた。 しかし、インドのプリー(Puri)にある本家本元のジャガンナート寺院とは随分違った雰囲気だ。 ⑭コチリンゲシュワル・マハデヴ寺院(Kotilingeshwor Mahadev Temple、5) ![]() ![]() 男根に衣装を着せて、顔を付けるこのセンスって・・・恐るべし。 ⑮マヘンドレシュワル寺院(Mahendreswor Temple、1) ![]() 淡い色使いが鮮やかな印象を与えるこの寺院には、シヴァ神が祀られており、シヴァの乗物の牛ナンディも見られる。 ⑯タラニ・デヴィ寺院(Tarani Devi Temple、39) ![]() ![]() 意外な一面・・・ ![]() 上水道設備の整備が遅れているのだろうか・・・? オススメ度(100%個人主観) ★★★★☆ ・・・ インドと全く違う雰囲気のヒンドゥー寺院 所要観光時間 2.5~3時間 ▲
by bharat
| 2007-03-03 10:30
| インド周辺国ぶらり旅
![]() その一角、ブータン大使館の隣にあるのが、鉄道博物館(National Rail Museum)だ。 インドの鉄道 中の様子は後述するとして、まずはインドの鉄道について少々。 インドの鉄道は、総延長63,000km、世界第4位の長さだ。 その大部分は、イギリス植民地時代に敷設された「遺産」で、軌道(Rail)や貨車もイギリスの面影を色濃く残している。 この「遺産」、インフラが脆弱なインドにおいて、かなり立派な役割を果たしていると言えるのだが、マイナス面が無くはない。 まず、当たり前だが老朽化。 これだけ敷設面積が広範なので、取替も容易ではない。 それから、スペック。 宮殿列車のくだりでも書いたが、当時のイギリスのインド分割統治のせいで、各地域でレールの幅がなんと4種類も混在している。広軌(1,676mm)・狭軌(1,000mm)・ナローゲージ(762mm・610mm)が入り乱れて走っているのだ。当然電車の幅もこれに拠っている。 運行管理も頭の痛いテーマだ。 殆どの路線が客貨両用になっており、また単線区間も多く、特急列車でも平均時速50kmそこそこという有様。 加えて、自然災害等によって、長距離特急列車で3~4時間、貨物列車で半日遅れることがしばしばある。 日本の9倍という国土をカバーするにはあまりにしんどい環境だ。 最近でこそ、飛行機の国内線で移動する旅客が増えたが、低所得層にはまだまだ買えるチケットではない。 彼らは、恐ろしく安い自由席券を購入し、何十時間もかけて電車で長距離移動するのだ。 100歳以上の列車がズラリ 博物館の敷地内には、昔の列車がたくさん展示してある。 1900年代初頭のものが多く、なんと100歳以上ということになる。 外装を綺麗に塗っていることもあり、今でも走り出しそうな感じだ。 ![]() ![]() ![]() ![]() インドの列車の特徴が良く見れたのがこの車両。 ![]() ![]() まぁ、インドでは殆ど雪が降らないから、これで用足りると言うことか・・・。 あと、連結器の形状が日本のそれとは違う。これはイギリスに見られる方式でフックをネジの要領でグルグル回すと対象物に引っ掛け固定できる仕組。 ![]() これも面白い特徴を持った列車。 ![]() ![]() !!・・・外側の車輪の内側にデッカイ歯車がたくさん。 実はこの列車、高山仕様で、斜度のキツい坂を登るためにギアを持っているのだ。 浦安ネズミーランドのカリブの海賊のボートみたいな仕組だな。 ここからの3車両は立看板付だったので、詳しく。 ![]() 製造は、バルカン・ファウンダリー(Vulcan Foundry Ltd.)となっている。 同社は、イギリスのランカシャー地方の会社で、元々は車両ではなく橋梁や踏切の鉄製部品を製造する会社で、1832年設立(当初はCharles Tayler and Company)。 1835年より国内用のみならず、フランス・オーストリア・ロシアへの輸出を手掛け、1852年には世界で初めてインドに蒸気機関車を輸出した。 その後も、積極的な技術革新でディーゼル機関・電気機関を製造。 吸収合併によって様々な名称に変わったが、最終的に2002年に製造所は閉じられた。 因みにこのバルカン・ファウンダリー社、日本にも深い関係がある。 明治時代初期、外国船来航等で、蒸気機関の存在を知りその開発・導入に躍起になっていた日本は、1871年(明治4年)公式には初めて外国製機関車を輸入した。 この「1号機関車」こそが、バルカン・ファウンダリー社製だったのだ。 ![]() 製造は、ノース・ブリティッシュ・ロコモーティブ社(NBL:North British Locomotive Company)。 NBL社は、1903年にイギリスのグラスコーに拠点を構える3社(Sharp Stewart社・Neilson & Co.社・Dubs & Company社)の合併によって出来た会社で、当時ヨーロッパ随一の規模を誇った。 製造する蒸気機関車は国内のみならず、遠くはマレーシアへも輸出・使用された。 ところが同社は、蒸気機関からディーゼル機関への技術革新に失敗、1950年代からドイツ企業MANと手を組むこととなる。 最終的に、NBL社は1962年4月19日に破産、鉄道界からその姿を消す。 ![]() 製造は、ナスミス・ウィルソン・アンド・パトリクロフト社(Nasmyth Wilson & Patricroft Ltd.)。 この会社はジェームス・ナスミス(James Nasmyth)によって1836年に建てられた。 彼は、「ナスミス・ハンマー」なる工具を発明するなど、技師としての才を見せた。 合併・統合を繰返し、一時期はイギリス植民地のインド・ニュージーランドにも機関車を輸出したが、1940年に会社を閉じた。 隅っこには、世界遺産も ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 敷地の一番奥の目立たないところに、ちょっと変な形の小さな蒸気機関車と客車がポッツ~ンと置いてある。 なんとこれ、ユネスコ世界遺産の1つ「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」の機関車と客車なのだ。 機関車には、製造会社シャープ・スチュワート(Sharp Stewart & Co.)の文字が。 型式はB-777、1889~1952年の製造だそうだ。 客車は、恐ろしく小さい・・・何人乗りなのかな。 外側には、ダージリン・ヒマラヤ鉄道のロゴ。 ・・・うぅむ、実物を見ると、是非乗りに行きたくなるなぁ。 その他 ![]() 『機関車トーマス』などでよく登場する転車台(Turn Table)。 ![]() 一見普通なのだが、上述したように線路幅が異なるため、複数の幅に対応するようにレールが配置されているのだ。 こんなの、インドだけぢゃなかろうか? ・・・無造作に列車が置いてあると言えばそれまでなのだが、展示車のバラエティが豊富な上に、インドの鉄道の歴史そのものがユニークなので、なかなか楽しい。 ▲
by bharat
| 2006-11-30 10:30
| デリー市内あれこれ
インドを旅していて、ふと思ったことがある。 「史跡って、誰がどうやって保存しているのだろうか?」 ちょっと調べてみたら、どうやらインド全土でASIなる機関が統一的に活動しているらしい。 ASIはArchaeological Survey of India、考古学調査研究所。 インド政府管下の政府系組織で、観光文化省(Ministry of Tourism and Culture)の文化局(Department of Culture)に属している。 主たる活動は、遺跡発掘および保存、これに係るノウハウの蓄積・教育、書籍発行など。 その歴史はウィリアム・ジョーンズ卿が1784年にコルカタで古物収集家の集団Asiatic Societyを組織したのが前身だと言われる。この集団が、19世紀始めにタージ・マハルやファテープル・シークリなどは、この頃からちょこちょこ修復されていたようだ。 画像は、修復保存作業のBeforeとAfter。 こんなボロい建物が・・・ ![]() こんなに綺麗に復活!! ![]() ただ、全部の建物がこのようなリフォームをされるとは限らない・・・というより、そうでない場合が圧倒的に多いのでは、と思う。 別に、懐古主義ではないが、何千年という歴史を持つ国は世界中にそう存在しない・・・ASIにはもっと頑張ってもらって、インドの史跡の保存をジャンジャンやっていって欲しい。 ▲
by bharat
| 2006-09-16 10:45
| インドぶらり旅
![]() ムンバイ(ボンベイ)の半島の東約10km、海上に浮かぶ小さな島がエレファンタ。8平方kmのこの小さな島には、1,600人が暮らしている。 時間が勿体無いぞ・・・ ![]() ムンバイのインド門の船着場から、定期船が出ている。 時間は1時間おきで、朝イチの船は9時。 ・・・の予定だが、30分以上遅れて漸く出発。 島には、狭い湾内の波に揺られながら、1時間。 ヒンドゥー石窟寺院 ![]() ![]() 4ルピー(約10円)で、トロッコ列車に乗れるが、歩くのと殆ど同じ速度。 ![]() チケット売場で例によって不公平なガイジン料金250ルピー(約650円)を払う・・・因みにインド人なら10ルピー(約26円)だ。 いきなり見えてくるのが、第1寺院。 ![]() その作風は、アジャンタ、エローラの石窟にクリソツ。 ・・・保存程度でいくと、エレファンタ島の方が悪い。 本堂奥には、3つの顔を持つシヴァ「マヘーシュ・ムルティ(Mahesh Murti)」。 ![]() ![]() 近代兵器がなぜここに・・・? ![]() ![]() ![]() 随分と近代的に見えるが、最近のものなのか? ・・・以上、アッという間に見終えてしまった・・・。 でも、帰り便が12時発なので、待ちぼうけ。 おまけに、潮の流れで2時間も海上をフラフラしてた。 オススメ度(100%個人主観) ★☆☆☆☆ ・・・ これで世界遺産?という物足りなさ 観光所要時間 5時間 (船の時間の関係で仕方ない) ▲
by bharat
| 2006-08-20 10:30
| インドぶらり旅
![]() 今回、半日かけてじっくり周ってきた。 ムンバイの歴史 ![]() ![]() 16世紀までは、7つの小さな島で構成される漁村の集落群だった(左の地図の通り)。 1534年に、この一帯はグジャラートのスルタン(奴隷王朝)から当時積極的な植民政策を採っていた欧州列強の1つポルトガルの手に渡る。ポルトガルは、当時一大貿易港になっていたゴアの補助港として、このムンバイを活用しようとした。ただまだこの頃は、小さな要塞や教会を建てた程度だったという。 尚、ムンバイ(ボンベイ)の地名の由来は、漁民の信仰していた女神ムンバに由来するとも、ポルトガル語の「良き湾」に由来するとも言われている。 その後、1661年、ポルトガル王の妹カテリーナとイギリス国王チャールズⅡ世の婚儀に際し、ムンバイは持参材として英国に割譲された。 1668年には、英国政府から東インド会社に貸与された。東インド会社管轄下のこの時代に、ムンバイは大きく都市機能を発展させる。17世紀の宗教政策等により、ゾロアスター(拝火)教 教徒やグジャラート商人が流入、商館や病院、工場なども増えていった。 19世紀に入ると、7つの離れた島を繋いで1つの大きな半島にするという大規模な埋立工事が実施された(右の地図のようになった)。こののち、ムンバイは湿地や入り江の多いグジャラート地方の産物の積出港、内陸部デカン高原からの産物の積出港として多いに発展していく。 現在、人口は1,500万とも1,600万とも言われ、デリーを差置いてインドの最大都市である。 欧州建築の数々 ムンバイには、ポルトガル・英国の中世建築様式を踏襲した立派な建物がたくさん残っている。 ヴィクトリア・ターミナス(Victoria Terminus)駅 ![]() 現在も、ちゃんと駅舎として使われている。 ![]() レンガの重厚な外観、内部には木製の柱、至るところに見られる細かなステンドガラスは、とても上品な雰囲気。 建物だけじっと見てると、英国にいるような雰囲気になる。 ![]() 行政庁舎 ![]() プリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales)博物館 ![]() 今回は、時間が無かったので外見のみ。中は、3世紀~19世紀の彫刻など、バラエティに富んだ展示物があるという。 インド門(Gateway of India) ![]() 1911年の英国王ジョージⅤ世とメアリー王妃のインド訪問を記念して作られたのだが、訪問時には完成が間に合わなかった。 英国の威信を示したこの門は、奇しくもインド独立の際の英国軍の撤退路となる。 尚、この門の脇から、エレファンタ島への定期船が出ている。 タージ・マハル・ホテル(Taj Mahal Hotel) ![]() ![]() 現在、インド最大の財閥タタの創始者であるゾロアスター教の事業家ジャムシェドジー・タタ(Jamshedji Tata)は、「白人しか入れない」としてワトソンズホテル(今はもう無い)で門前払いを食ったことに怒り悔しがり、英国人の経営するホテルを遥かに凌ぐ巨大ホテルを建設した。 現在は、隣に背の高い新館もあるが、本館は今も現役。 四隅の塔がインド建築(ハイデラバード(Hyderabad)のチャルミナールみたい)なのに、真ん中のドームはツルツルぢゃない(欧州建築?)。欧州建築を模倣しながらも、インド建築の主張も入っている、興味深いデザインだ。 由緒正しき会員制の施設 ここムンバイには、英国統治時代の歴史ある施設が、今も使用されている。 その殆どは、伝統を重んじ、会員制を採っている。 ![]() 会員制を敷いており、会員とそのお客さんしか入れない。 ![]() ![]() ![]() ![]() ・・・うぅむ、やはり、名家や金持ちは特権を持っているんだなぁ・・・羨ましい限り。 オススメ度(100%個人主観) ★★★☆☆ ・・・ 特権を持った御友達と来るべし 観光所要時間 1~2時間 ▲
by bharat
| 2006-08-19 10:30
| インドぶらり旅
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![]() 2年間のインド生活で、どこまでインド人に近づけるか!?
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